竹林の中を行く廃線跡、倉吉線

f:id:mokky0135:20220103113535j:plain
f:id:mokky0135:20220103113447j:plain
f:id:mokky0135:20220103113509j:plain
f:id:mokky0135:20220103113605j:plain

 

かつて、鳥取県山陰本線倉吉駅から、打吹、関金を経て、山守駅まで全長20キロの倉吉線というローカル線があった。1985年4月1日に全線廃止になってしまったが、私は1974年4月に、一度だけ訪問したことがある。当時は関金までは、C11形蒸気機関車が牽く混合列車が健在で、関金から終点山守まではディーゼルカーだけが走っていた。

終点の山守は、短いホームとプレハブのような待合室があるだけの無人駅で、ホームにかからない車両からは、お客さんが直接線路に降りていた。

廃線から35年、今も線路跡の一部はレールが当時のまま残っている。

唯一ホームが残る泰久寺駅から、山守駅に向かって歩いて行くと、見事な竹林が現れる。六角精児が「日本で最も美しい廃線跡」と言ったそうだが、それも納得の幻想的な光景だ。

途中にある山守トンネルは、ふだんは通れないが、地元の団体が主催するトレッキングツアーに参加すれば通れるようである。

私が訪問した2021年12月25日は、生憎の雨で(その日の夜から鳥取地方は大雪になった)、ほんの一部を垣間見ただけだが、またいつか再訪してみたい場所である。

f:id:mokky0135:20220103113239j:plain
f:id:mokky0135:20220103113301j:plain
f:id:mokky0135:20220103113312j:plain

扉座「ホテルカリフォルニア」を見た

1982年、高校時代に神奈川県立厚木高校演劇部で同期生だった横内謙介、岡森諦、1年後輩の六角精児らが劇団善人会議を立ち上げてから今年で40年。善人会議は1993年に扉座と改名して今に至る。

ナイロン100℃が、前身の劇団健康を立ち上げたのが1985年だから、その3年前ということになる。どちらも日本の演劇シーンの中で、多くのファンを持って、息長い活動を続けている劇団だが、ナイロン100℃がナンセンスコメディから、シリアスドラマ、不条理演劇まで幅広いレパートリーを演じてきたのに対して、扉座は一貫してエンタメ性を基調に据えた作品を上演している。

どちらも私が好きな劇団だが、私が扉座を見はじめたのは、2019年の「新浄瑠璃百鬼丸」からだから、実はつい最近である。その後、「最後の伝令」「10knocks」「お伽の棺」「解体青茶婆」と見てきて、今回の「ホテルカリフォルニア」である。

作・演出の横内が「私戯曲」と言っているように、厚木高校演劇部時代のエピソードから構成される青春グラフィティだ。還暦を迎えた岡森や、来年還暦になる六角が、詰襟の学ランを着て高校生を演じるのだが、何の違和感もなく、40数年前のあの時代にタイムスリップできてしまう。

1970年を頂点とした学生運動は、とっくに下火になっているが、それでも「革命をやるんだ」と豪語する高校生もいたりして、まだ地の底に埋もれ火のような余熱が残っている時代。フォークダンスは、さすがに時代遅れになり、文化祭の後夜祭で、みんなでジンギスカンを踊った時代。つかこうへいの「熱海殺人事件」を演劇部の先輩に連れられて見に行って、演劇の面白さに目覚め、受験校のメインストリームからドロップアウトしていく横山少年(モデルは横内)。

私の高校時代から、約10年の隔たりはあるけれど、あの時代の空気感は痛いほどよくわかる。そして、中学時代にはいなかった、いろんなタイプの人間と出会うことによって、日々自分が更新されていく感覚も。

タイトルの「ホテルカリフォルニア」は、もちろん、イーグルスのあの名曲。

その最後は、

You can check out any time you like

But you can never leave

  きみはいつでも好きな時にチェックアウトできるさ

  でも、けっしてここを離れることはできないんだ

と歌われている。演劇という名のホテルカリフォルニアに40年前に囚われた魂は、今も終わらぬ青春を生きているのでは? ふと、そんなことを想像させるお話でした。

f:id:mokky0135:20211224195333j:plain
f:id:mokky0135:20211224195722j:plain



 

 

大木茂写真展「ぶらりユーラシア」に行きました

オリンパスギャラリーで開催中の大木茂さんの写真展「ぶらりユーラシア」を見に行って、ほんとうに圧倒されました。
ユーラシア大陸の東端から西端まで、72歳で78日間の一人旅というだけで、もう驚嘆に値するのだけど、写真に添えられた(というには、あまりに膨大な)文章もまた読み応えがあります。たとえば.....
1日1本の列車しか来ないロシアの駅で、何人もの職員が働いているのを見て、人に働く場所と仕事を用意することこそが大切なのではないかと考え、省力化・効率化に走る現代社会に疑問を呈する大木さん。
中国国鉄の駅で、入場するときにチケットと身分証明書を機械に入れて、顔写真を撮られて....つまり全ての乗客が、いつどこからどこまで移動したか、ビッグデータに蓄積されてしまうシステムに背筋が寒い思いをする大木さん。(ただ、これは中国だけではなく、日本も似たり寄ったりの社会になりつつあるような気がしますね。)
読んでいて、いちいち共感することばかりです。
中央アジアから中近東を抜けて、ヨーロッパに入り、豊かで洗練された文化の中で、安堵を感じる一方で、ヨーロッパの高度な文明が植民地時代のアジア、アフリカからの収奪の上に花開いたものであることも忘れない。
大木さんは、フランスでスーツケースを盗まれるという災難にも遭っているのですが、アジアでも中近東でも、そんなトラブルに遭わなかったのに、ヨーロッパの中心に入った途端に、アクシデントに遭遇するのも皮肉な話です。しかも、フランスの警察は、まともに取り合おうともしない......
たっぷり1時間半かけて写真展を拝見、拝読し、今回の旅の紀行をまとめた著書を購入。サインをしていただいてギャラリーを後にしました。
ところで、大木茂さんといえば、50年前のキネマ旬報社から出版された写真集「北辺の機関車たち」で、鮮烈な印象を私に残した方です。SLブームと言われた時代、全て冬の北海道、全てモノクロ、荒々しい自然の中で奮闘する機関車の写真にノックアウトされました。やっとご本人とお話しできて感激です。私も70歳で、歳だなんて言ってはいられませんね。

 

f:id:mokky0135:20211126114951j:plain
f:id:mokky0135:20211126115014j:plain
f:id:mokky0135:20211126115038j:plain